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何故老衰で死ぬのか

  • कबड्डी
  • 2018年9月14日
  • 読了時間: 5分

実家の庭から埋蔵金が見つかればいいのに。どうもकबड्डीです。

今回は「何故老衰で死ぬのか」について興味深い仮説を見つけたので紹介します。

哲学的見地ではなく、生物学的見地に基づいた説です。

参考文献は『利己的な遺伝子』(リチャード・ドーキンス著)です。

以下の文章は生物学をよく知らない人でも分かるように書いたつもりです。理解しやすい内容にするために厳密性を欠く表現がありますが、ご了承ください。

生物の体の設計図が遺伝子であるというのは皆さんご存知だと思います。例えば瞳の色を決める遺伝子であったり、赤血球を作る遺伝子であったりと、実に多様な種類があります。私たちのように男と女に分かれている生物であれば、同じところに働く遺伝子を父からひとつ、母からひとつ受け継ぎます。

ところで遺伝子には「発現」する場合としない場合があります。「発現」というのは簡単に言うと、その遺伝子が何らかの効果を示すことを言います。中学の理科の授業で、メンデルのエンドウマメの実験を勉強したことを思い出してください。先祖代々緑色のエンドウマメと先祖代々黄色のエンドウマメを交配すると、子供のエンドウマメの色はすべて緑色になります。子供は、体を緑色にする遺伝子と黄色にする遺伝子の両方を親から引き継いでいるのですが、緑色にする遺伝子は発現し、黄色にする遺伝子は発現しないということです。このとき緑のように発現する方を顕性(優性)遺伝子、黄色のように発現しない方を潜性(劣性)遺伝子といいます。潜性遺伝子は、顕性遺伝子とペアにならず、潜性遺伝子どうしでペアになったときに発現します。

また、遺伝子によって発現する時期が特定のものもあります。例えばチョウなどの昆虫をイメージしてください。幼虫、さなぎ、成虫と、まるで姿が違います。ひとつの個体がもつ遺伝子のセットは一生のうちで変わることはないので、幼虫のとき、さなぎのとき、成虫のときで個体がもつ遺伝子は変化しません。では何故このように姿の違いが生じるのかというと、幼虫のときには体を幼虫に保つ遺伝子が発現していて、体をさなぎにしたり成虫にする遺伝子の発現が抑制されているからです。同様に、さなぎのときは体をさなぎに保つ遺伝子が発現していて、からだを幼虫にしたり成虫にする遺伝子の発現は抑制されています。成虫のときも同様です。(ちなみに、幼虫、さなぎ、成虫へと変化することを完全変態といいます。チョウやカブトムシは完全変態です。一方でこのような変化をしないことを不完全変態といいます。バッタやカマキリがその例です。一般には昆虫に使われる用語ですが、我々ヒトは不完全変態といえるかもしれませんね。うふふ。)他の例では、大腸菌には特定の栄養条件でのみ発現する遺伝子なんてのがあります。このように、遺伝子にはそれが発現する時期が決まっている場合があるわけですが、これがこのさき述べる仮説の重要な点になります。

なかなか本題に入りませんが、もう少し大事な話をさせてください。遺伝が数世代に渡る現象について考えるときには、個体が持つ遺伝子ではなく、集団がもつ遺伝子の集合全体を考えた方がいい場合があります。これを遺伝子プールといいます。遺伝子プールにおける、ある遺伝子の割合は遺伝子頻度といいます。細かい説明は省略しますが、以下の図を見ていただければなんとなくのイメージがつくと思います。

お待たせしました。では、「何故老衰で死ぬのか」という疑問に対する仮説を紹介します。遺伝子の中には、「致死遺伝子」という恐ろしい名を持つものがあります。その名の通り、致死遺伝子が発現すると個体は死に至ります。何故死ぬのかですが、生命維持に必要な活動を致死遺伝子が阻害してしまうからです。こんなものがしょっちゅう発現してはたまりませんから、致死遺伝子のほとんどは潜性で、顕性遺伝子によって発現がおさえられています。(この言い方は厳密には正確ではないです。)この致死遺伝子(潜性)がペアになって発現する場合、大抵のものは胎児の時期に発現しますが、なかには老人になってから発現するものもあります。胎児で発現する、ある致死遺伝子(aとする)であれば、発現すれば個体が次世代を作る前に亡くなるわけですから次世代における遺伝子プールのaの頻度は低い値に収まるはずです。これを繰り返し、aの頻度は世代を渡るにつれて減少します。では、老人になってから発現する、ある致死遺伝子(bとする)ではどうでしょうか。老人であれば、bが発現する前にすでに子供を作っている可能性があります。すると次世代にもbは引き継がれます。また次の世代にもbが引き継がれることでしょう。このようにして、遺伝子プールにおけるbの頻度は一定値を保つと考えられます。そうすると、老人になるまではなんともなかったのに、老人になるとbが発現し死んでしまうということが一定の割合の人に起こるでしょう。老人の時期に発現する致死遺伝子はなにもbだけではないでしょうから、bが発現しなくてもbと同じような他のある致死遺伝子によって死ぬ人が一定の割合でいると考えられます。誰でも何かしらの、老人になると発現する致死遺伝子を持っていると考えられます。つまり寿命は、「生まれてからある致死遺伝子が発現するまでの期間」と言い換えることができます。これが「何故老衰で死ぬのか」を説明する仮説です。

(下の図でA、Bは顕性、a、bは潜性です。)

いかがだったでしょうか。もちろん、この仮説が正しいと証明されたわけではないですが、説得力があり、それでいて我々の常識を覆すアイデアだと思います。生と死、哲学的な大きなテーマではありますが、生物学的に考察するのも非常に面白いです。ちなみに、この記事で説明したことは、ほとんど高校の生物で習う基礎的な内容です。近年生物学の研究は著しい発展を遂げており、高校生が習う内容もより深いものになっています。興味を持った方は、是非勉強してみてはいかがでしょうか。

画像は手書きではなくパワポ等で作成した方が見栄えが良かったかなぁなんて、作った後に思いました。(でもイラストや画像の利用は著作権とかめんどくさいよね。)

それではさようなら。

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