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我々は何者か。

この問いについて考えるとき、フルーツについて考えざるを得ない。

何故なら、フルーツは宇宙の構成成分であり

且つ、フルーツの中にまた宇宙が存在するからである。

我々を知るためには宇宙を知る必要がある。

宇宙を知るためにはフルーツを知る必要がある。

つまり、我々はフルーツを知る必要がある。

我々が何者かを知るために

謙虚な姿勢でフルーツに教えを請うべきなのである。

我々は今一度

フルーツに対する態度を改めなければいけない。

原初より、我々はフルーツを食べて生きていた。

フルーツのおかげで我々は今まで生きてこれたのである。

しかし今、フルーツはスーパー等で切られて売られているではないか!

フルーツを切って売れば味が損なわれるのは明々白々である上に

この行為は明らかにフルーツの自由を虐げている。

また、簡単のために切られたフルーツを食べたいという

人間のエゴも垣間見える。

我々にとって欠かせない存在であるフルーツに

このような態度をとってよいものだろうか。

この京都大学ドライフルーツサークルでは

虐げられたフルーツの自由を取り戻すとともに

フルーツを通じて我々は何者かを考察するサークルである。

フルーツに自由を。

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